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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)12752号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

二囲繞地通行権について

1 本件(一)の土地は、京浜住宅所有の新宿区住吉町六八番一の土地から分筆された土地で、北側は本件(二)の土地に、西側は高さ約二メートルのコンクリート塀で京浜住宅所有、伊藤喜代司賃借の宅地に、東側は高さ約1.5メートルのブロック塀で京浜住宅所有、長谷和夫賃借の宅地に、南側は高さ約三メートルの石積みの崖に、それぞれ接しており、右崖上が公道であることは、当事者間に争いがない。

2 原告は、右事実から、本件(一)の土地は人為的準袋地であり、本件(三)の土地について無償の囲繞地通行権を有すると主張するので検討する。

(一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。

原告は、昭和二五年一〇月、本件(一)の土地に居住するようになつて以来、本件(二)の土地の北側の私道に出るために本件(三)の土地を通行してきた(この点は当事者間に争いがない。)。その頃原告所有の家屋は平家建であり、本件(三)の土地を通行することが右道路へ出るための唯一の手段であつた。昭和三八年二月一日、旧建物を取り毀して、木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建共同住宅、床面積一、二階とも各43.32平方メートルを建築した際も、二階の六畳一間、三畳の台所、便所から成る貸室二戸については南側公道から直接出入りできる入口を設けたが、原告居住部分については、一階の本件(三)の土地の奥にあたる部分に玄関を設け、従前通り本件(三)の土地を通つて北側道路へ出ていた。昭和四三年八月三〇日、原告の妻テルが死亡し、翌四四年一〇月二五日再婚したこともあつて、次第に被告と折合いが悪くなり、原告は、昭和五二年三月肩書住所地に移転した。同年五、六月頃、原告は、原告が居住していた部分の二階の子供部屋から南側公道へ出る非常口を設け、一階から右非常口へのらせん階段によつて南側公道へ出られるようにしたうえ、同年七、八月頃から昭和五五年五月下旬まで、これを他へ賃貸した。

以上の事実が認められる。

(二) 右事実によれば、本件(一)の土地は、もともと三方を他人の占有地に囲まれ、一方は崖のため公道との間に著しい高低のある準袋地として、右土地の北側道路へ出るために本件(三)の土地につき囲繞地通行権を認むべきであつたものということができるが、右地上に二階建建物を建築した結果、二階の床は公道とほぼ同じ高さとなり、二戸の貸室部分は南側公道に面する出入口によつて右道路に通じていることが明らかであるし、原告が居住していた部分についても、右非常口の設置によつて南側公道に通じているものというべきである。たしかに、<証拠>によれば、右非常口は、巾約八五センチメートル、階段は巾約六〇センチメートルであることが認められ、右通路だけでは右建物部分の使用に多少の不便を伴うであろうことは容易に推認しうるけれども、他方、<証拠>によれば、本件(三)の土地は、もともと道路として開設された土地ではなく、従来から被告が薪を置いたり、庭木を植え、花壇をつくるなどして使用していた土地であつて、被告と原告の妻が兄弟であるという関係から両方の家族が共同使用してきたものであること、現在、東側は長谷和夫の賃借地との境のブロック塀で区切られているが、西側は被告所有家屋の六畳和室、八畳和室の廊下のガラス戸に面し、通路というよりは被告方住居の庭先という状態の土地であることが認められるのであつて、互譲協同の精神から所有権の行使が制限される相隣関係の特質に照らせば、本件(一)の土地が地上建物の二階部分で公道に接している以上、原告側に多少の不便が存したとしても、被告において何のかかわりもない原告所有家屋の賃借人のために庭先の通行を受忍すべきであるとすることはかえつて公平に反し、このような場合、原告に囲繞地通行権を認めることはできない。

囲繞地通行権の主張もまた、理由がない。 (大城光代)

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